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天国の宮国英仁が念願であったモノマネショーを開催すると聞いて、この日だけはなんとしても観に行かねばならぬと決めていた。そして行ってきた。場所は川口でちと遠かったが、新宿まで定期が使えるから交通費的にはさほどでもなし。 宮国を支えるバックバンドのメンバーには天国の相棒本間太郎(key)に、御馴染み渡部正人(dr)、大垣知也(ba)、それと渡部くん繋がりで竹内政人(Gt)という4人。 まず会場に足を運んでびっくりした。思ったよりずっと素敵な場所だったのだ。普通におしゃれなレストラン、バーとして通用する。ちょっと前に行った荻窪のルースターノースサイドもなかなかシャレオツな処ではあったが、ここは確実に1ランクグレードが高い。ビールも美味い。ピザも美味い。うーん、いい会場だ。 少し押し気味でライブが始まる。皆さんスーツ姿でびしっと決めてらっしゃる。そしてセンターの宮国さんはなんとスパンコールびっしりのきんきらスーツ着用。おおう、気合い入ってるわ。 ![]() 最初のモノマネは松山千春。まずは安定の持ちネタからって感じですな。あの淡々としてて妙に伸びやかな声を実に巧みに真似られる。 で、途中から寸劇っぽくコンサートのMCのモノマネが入る。地元北海道でのコンサートの模様なのか、完全な創作なのかわからんが、ゲストに鈴木宗男とGLAYのTERUを迎えて3人で歌うという謎の流れに。この場面は完全にコントだった。 それからちあきなおみの司会を織り交ぜて、こちらもオハコであるMr.Childrenのモノマネ。これも似ている。桜井和寿の声マネは結構ムズイと思うのだが、宮国さんのミスチルは安定感半端ない。 Tommorow never knowsなど2曲を短めにアレンジしたバージョンで披露した後、桑田圭祐とのコラボで奇跡の地球を。これは前半のハイライトと言って良い出来栄えだったと思う。イントロのシンセの音でもう「キタキター!」って感じになるし、モノマネは桜井、桑田ともばっちり。で、それを一人二役で目まぐるしく入れ替わりながらこなしたのも見事。終盤は入れ替わりすぎてわけわかんなくなってた(笑) その後もテンポ良く(?)ころころ人を変えてショーは進む。藤山一郎、ヒデとロザンナなど、若い人は誰もわからんようなモノマネもあり、マニアぶりを発揮する宮国氏。それはいいのだが、どの曲もドラマのオープニングテーマの如く、非常に短い形でしか披露されなかったのが残念。これは宮国さんよりも、バンド側の時間的な事情もあったのかもしれないと想像する。 第一部のラストは降霊術のコーナーと題し、故人のモノマネを披露する。それを言うなら先にやった藤山一郎も故人ではあるが細かいことは抜きにしましょう。 坂本九とか他にも色々やったのだが、ちょっと記憶が曖昧で思い出せない。申し訳なし。 一旦休憩を挟んで第二部。宮国さんの蝶ネクタイがでっかくなってる(笑) まずは宮国さん1人でアコースティックギターで弾き語り。ネタはなんだったっけか。思い出したら起筆修正する方向で・・・ 2~3曲弾き語りでやった後、みんなでオイスターズコールをしてバンドメンバーを呼ぶ。 ![]() 第二部の演目は槇原敬之、米良美一(第一部だったかも?)、ビジュアル系メドレー(ラルク、シャズナ、ペニシリン)、B'z、美輪明宏バージョンの愛の賛歌など。 途中から地元のお食事客と思われる方々が団体さんでいらっしゃって、大変に盛り上がっておられた。良き哉。 ビジュアル系メドレーでペニシリンをやった時は宮国イヂリの仕込みが炸裂し、大爆笑であった。ナイスドラム。 ![]() 美輪明宏の愛の賛歌はYouTubeにアップされているものを参考にしたと思われるが、最初に歌詞を科白で言う場面、微妙に科白にアレンジが加えられている。吉幾三のモノマネだって出来るわとか、かめはめ波だって打てるわとか。で、歌のシーンではちゃんとそのまま歌っている。芸が細かい。 ![]() 降霊術のコーナーでは尾崎豊、美空ひばりなどを披露。 少し辛い目で見ると、やはり後半はちょっと集中力が落ちたのか、モノマネに徹しきれず宮国さんの素がちらほら見えたかなーという気がしたかな。米良美一、美空ひばりなどは安定していたけれども。 ひとまず1回目としては上々の出来栄えだったかなと思う。 次回はメドレーはメドレー、そうじゃなければ1曲はきっちり1曲フルで聴かせていただきたいなと思うのであった。 PR |
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この良音無料というタイトル、良音という単語がイコール高音質という誤解を与えがちなのだが、コンセプトとしては無料で聴ける良い音楽を紹介することであって、音質に関しては基本的にノータッチである。
根本的な部分に目を向けると、無料音源に高音質を求めること自体に無理があるというか、限界があるという現実は否めないのだ。 そもそもCDにプレスする段階で、音質的にマスターよりも圧のかかった状態になることは防げないし(近年はSHM-CDなどの高音質CDも増えているが)、そこからMP3などのファイル形式に変換することで一層圧がかかる。さらに言えば、聴く側の環境によっても圧がかかる。同じ曲を1000円そこそこのイヤホンで聴くのと、100万円かけて構築したオーディオシステムで聴くのとでは当然違いが出る。そこまで極端な例でなくとも、1000円のイヤホンを使うか10000円のイヤホンを使うかで十分違いは生じてくるのだ。 「安い音で聴いても名曲は名曲だ」という主張もあるかもしれないが、聴く側が本来の音で聴く努力を全く放棄することは、手間暇かけて作品を作ったアーティストやエンジニアに対して礼を欠く行為であるという意識は持って然りであろう。 逆に聴く側が良い音で再生できる環境を整えていても大して差が出ないような音質で作品をリリースすることは、結局アーティストが自分で自分の首を絞める行為になりはしないかと危惧もする。 また前置きが長くなったが今回紹介するのはこちら。 「Ever onward - Ferri」 http://frekul.com/artists/profile/ferri この曲はフリクルという音楽サービスを利用することで聴くことができる。リスナー登録が必要だが、無料なので特にこれといった心配はない。登録すればメールマガジンで楽曲が配信される仕組み。Ferriのページのトップで「Hymn」という曲も聴くことができるが、こちらは試聴版。 Ferriのプロフィールには「女性電子音楽家。Bjorkを彷彿させるようなエレクトロニカ・Sigur Rosのような音像の描けるような独特の世界観で優しくも儚い楽曲を奏でる」とあるが、なるほどと頷ける部分は確かにある。ボーカルなどの肉体的な部分よりも、楽曲の持つ雰囲気がアイスランド的というか、北の大地のイメージを想起させるような空気感を持っている。そういう意味ではシガー・ロスにより近いものを感じる。 それが意図的なものであるかどうかは別にして、確か無料配信には期限があるはずなので気になる方は早めにメルマガ登録されることをオススメする。 |
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ツイッターなどでどんどん流れてくる情報に留まらず、自分から積極的に無料音源を探そうとしてみると、世の中には無料音源を扱っているウェブサイト、ウェブサービスが実にたくさんあるのだとわかってくる。
現在の主流はやはりMyspaceやYouTubeなのだろうと思うが、audioleafやSoundCloudなどもまだまだ利用者(主に発信者側)はいるし、もちろんそれ以外にもたくさんある。ポータルサイトの類も増えている。 自分の体験を遡っていくと、無料音源を扱うサービスで1番早期に最もよく利用していたのがmuzieだ。「日本最大級の無料インディーズ音楽配信&コミュニティーサイト」を標榜して、かれこれ10年以上は続いている老舗である。 ぶっちゃけ素人に毛が生えたどころか、ほぼ素人みたいな輩も多数作品をアップしているので(現在はどうか知らないが)、本当に玉石混淆なのだけれども、そこからたまに自分のアンテナに引っかかるものが見つかるのがたまらない感覚だった。 折角なので、そのmuzieにアップされている楽曲の中から1つピックアップしてみようと思う。 「Cafe Au Lait - 情熱」 http://www.muzie.ne.jp/songs/181680/ 作曲者のCafe Au Lait氏、何気にmuzieでは古くから作品を投稿しているユーザーで、自分も昔ちょくちょくチェックしていた方の1人。 氏のページを見てみると、最後の投稿が2010年となっているので、最近はあまりmuzieに重きを置いていないか、作品投稿自体をあまりやっていないかだと思うが、なにはともあれ「まだあったんだ」という感慨が大きかったので勢いで紹介させていただいた。 この情熱という曲、セルフレビューの通り少々ラテン系の味付けがされており、猛烈弾きまくり系ギター作品が多いCafe Au Laitにしては少々異色作である。とはいえ、作りは丁寧だし、 ノリもいい。ギターキッズが「俺ちょっと大人になってきたぜ」と思い始める時分にどんぴしゃりツボに嵌りそうな曲である。 ・・・また皮肉っぽいコメントを書いてしまった(汗) |
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音楽を無料で楽しむというのはすっかり常識になった。だからここでも無料で視聴できる音源やミュージックビデオの紹介をしていこうと今更ながら思い立ったわけなのだが、我々リスナーが忘れてはならないのが、無料で聴けるからと言っても全ての音楽作品には製作費用がかかっているということである。
当然なんらかの形でのフィードバックがなければ音楽家は作品を作り続けることはできない。その方法については音楽家とリスナー、あるいはかつての仲介者(レーベル、プロダクション)がそれぞれ考えていくことが必要だろう。 それはさておき、必要は発明の母、というのとは違うかもしれないが、かつてならばそれなりに時間と労力をかけなければ出来なかった類の作品が、ツールの進歩によって驚くほど簡単に(簡単と言い切ってしまうとまた語弊があるが)作れるようになったのは面白いことだ。 そんなわけで今日紹介するのはこちら。 「宮内優里 - okt_」 ループマシンを駆使してソロでアンサンブルを作り上げていく実演方法というのは今では随分増えたとはいえ、このライブは楽曲自体の質も良いし、ライブならではの高揚感も味わえて非常に素晴らしい内容だ。 強いてジャンル分けするのならばエレクトロニカに近い感覚を味わえる楽曲なのだが、個々の音を拾っていくとあくまでも生楽器の演奏で構成されており、その生演奏を用いた手法で電子音楽的な響きを得られるところに、現代音楽家のスティーブ・ライヒを想起させるものがあると浅学ながら思ってしまった次第。 理屈をこねだすと底の浅さをどんどん露呈していくことになりそうなので、黙って楽しむのが吉か。 |
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先日『多摩り場2』の情報公開のため、久しぶりにサイトの更新をした。その際にこのブログを含めてサイトの更新が完全に放置されていた状態を反省し、何かそんなにハイペースでなくても定期的に更新できるコンテンツが必要だと思い、やはりブログだけでも更新して行こうと考えた次第。
で、何を書くかと考えた時、ありきたりながら無料で視聴することのできる音源ないしミュージックビデオの紹介をしていこうかと思いついた。 同様のことをされている方は既に山のようにいらっしゃる。が、ネットの海は莫大な広さを持つ。アーティストが作品を発信し、それが幾つかのハブ(ユーザー)を通して広められるまでに当然フィルタリングもされていく。(その意味ではネットも従来のメディアと同じ性質を抱えていると言える) 故に単純に広める、知ってもらうという観点に立つ限りはハブの数は多い方が良いわけで、今更ながらこんなことをやってみようと思い立った次第であります。 前置きが長くなってしまったが作品の紹介に移ろう。 「Anrietta - Grassky」 初回は個人的に要注目のエレクトロポップバンドボーカル、Anriettaの作品をチョイス。彼らの作品で無料で視聴できるものはそれなりにあるのだが、あえてニコニコ動画から引っ張って来た。 先に述べたように、ネットの海は莫大な広さを持つ。そこから自分好みの作品に巡り合える為には、単純にモノの良し悪しだけではなく、その入り口がわかりやすい形で提示されているかどうかも重要な点。(それが作品そのものよりも入り口に重きを置く風潮を作りかねない懸念もあるわけだが) このニコニコ動画の作品はオフィシャルものではなく、一般人が映像に合わせて、あるいは楽曲に合わせて映像をチョイスしてアップロードしたものと思われる。にも関わらず、YouTubeやニコニコ動画にアップされている彼らの作品の中では群を抜いて再生数が多い。 そもそもAnriettaの音楽を語る上で外せない要素として、所謂「スピリチュアル」であるとか「幻想的」といった言葉を当て嵌めることが出来るかもしれないが、等身大の人間像を描き出すのではなく、もっと大きなもの(例えば自然や霊的な存在)をテーマに描き出そうとしている感覚を受けるところが上げられるだろう。歌詞が日本語で無い点も生身感を消すことに一役買っている。 もちろん彼らにインタビューしたわけでもなければ、じっくりと歌詞を読み込んで得た分析というわけでもないので誤解はあるかもしれないが、一般的にそのような印象を与えやすい作風であることは疑いようがないと思われる。 スピリチュアルな楽曲と幻想的な映像、これは世間一般ではガチな食い合わせの一つだろう。再生数がそれを物語っている。 ・・・なんだか褒めているのか皮肉っているのかわからない内容になってしまったが、単に間口は広げておいた方がいいだろうという話をしたかっただけで他意はない。 近々新作を発表するAnrietta。これを聴いて気に入った方はそちらもチェックされるとよろしいかと。 |
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今回のコラムは熟考した末ではなく、かなり思いつきで書き始めたものなので、後から読み返して自分で首を傾げることもあるかもしれないが、日頃から思っている事ともリンクする内容であるので、そのまま勢いで書いてしまおうと思う。
つい先日、動画サイトでフィル・テイラー(史上最強とされるダーツ・プレイヤー)の動画を観た。 正直ダーツのルールにはあまり詳しくないため、最初はなんとなく凄いという事はわかるという程度の感で眺めていたのだが、後々どういったルールの下でどういうプレイをしていたのかという事を確認するにつれて、その恐るべき腕前にただただ驚嘆した。 こういった得点競技におけるトッププレイヤーは、素人目には本当に信じ難い技を持っている。修練によって人はここまで出来るようになるのだという1つの好例としてご覧いただきたい。 話は少し変わるが、同じ日にテレビでとあるクイズ番組を観た。 そのクイズの内容については省略するが、出場者は高校生や大学生のクイズ自慢、芸能人のクイズ自慢、超高学歴の弁護士、予備校教師などなど。 勝ち進んだのは高校生と大学生。片や高校生クイズ2連覇の開成高校生徒。片や東京大学クイズ研究会のエース。決勝も非常に白熱した勝負となったが、軍配は高校生に上がった。 その他では芸能人のクイズ自慢たちがなかなか健闘を見せたが、予備校教師や弁護士などはあまり良いところがなかった。 人生経験も長く、知識の広さ深さでも決勝進出者の2人を上回りそうな出場者が多くいたにもかかわらず、何故彼らは敗れてしまったのだろうか? それはひとえに競技者としての錬度の差だったのだと思われる。 クイズという競技は単純に知識の広さや深さを競うだけのものではない。特にその番組では瞬発性が求められる出題形式となっており、敗退者たちはそれに対応できずに力を発揮できなかった。一方決勝進出者の2名はいずれも日頃からクイズという競技に慣れ親しんでおり、知識量よりも競技者としての錬度で他に差をつけたという風に見えた。 このダーツとクイズの話を、主にアマチュアミュージシャンたちに向けた提言として応用したい。傲慢なのは百も承知で。 まずフィル・テイラーに学んで欲しいことは、単純に言えばもっと練習しろって事である。 自分が音楽を始めるきっかけとなったアーティストや目標としているアーティストは大抵誰にでもあるかと思うのだが、その割にそのアーティストに並んでやろう、超えてやろうという気概を持ったアマチュアミュージシャンにはなかなか出会わない。素晴らしい曲を書こうとは思っても、素晴らしいプレイヤーになりたいとはそれほど思ってない者が多いのだ。(このタイプは主にロックバンドやシンガーソングライターに多い) 音楽をやる事に志を持っているのなら、卓越した表現者たらんとする姿勢はあって然りだと思うのだが、恐らくは「芸術」と「スポーツ」という世間一般的な区分けが彼らに一流を志す動機を失わせているのではないか。つまり技術の向上ばかりに目を向けてしまうとそれはもうスポーツであり、芸術とは呼べないのではないかという言い分だ。 あるいは音楽の他に取り柄がないというタイプのミュージシャンは、秀才やスポーツマンにコンプレックスがある為、余計に技術に重きを置く事を忌避するという事もあるかもしれない。(考えすぎであって欲しいものだが) だが優れた芸術にはやはり土台となる技術が不可欠であるし、逆に言えばスポーツであっても本当に優れたものは芸術的と見做されるのだ。フィル・テイラーのダーツ然り、である。 そしてクイズの話から学び取って欲しいのは、競技者の視点だ。 前述のクイズ強者たちに共通しているのは、知識をクイズという競技に用いる訓練をしているという点である。確かに競技用に知識を収めてももはやそれは記号の羅列であり、実用性を持たない形だけのものに堕するという弊害もあるだろう。それはスポーツ化で陥りやすい罠である。だが重要なのは、彼らが知識という武器を用いる戦場をきちんと想定している点にある。 同様に自分がなんの為に音楽をやっていて、その目的の為にどう技術や感性を磨いているのか自信を持って答えられるアマチュアミュージシャンはどれだけいるだろうか?ギタリストならばギターが弾けるという武器を用いる戦場をどこに想定しているのか、その戦場に用いる物として武器の火力や性能は相応なのかという事だ。 実のところ芸術とスポーツは対極というわけでも、全く違うカテゴリというわけでもなく、かなり近いところにあるもの同士なのではないだろうか、と思っている。作曲家がノルマを課してとにかく曲を書く訓練をするという話を聞いたことがあるし、同様の事をしている小説家もきっといる事だろう。 肉体的能力と同様に、感性も訓練によって研ぎ澄まされるものだと思う。少なくともさしたる訓練も無しに事を成せる天才と自分を同じ基準で物を考えるのは危険だ。(それくらいの気概を持つのは結構だが) 以上。ここで語った事がシーンの実情が見えていない盲目者の戯言であれば良いという微かな期待を込めて。 |
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タイトルの通り、個人的なメモ書き的に気になるイベントを列挙しておこうと思う。果たしてこのブログがメモの役目を果たすかどうかという点は甚だ疑わしいのであるが。
【みんなの戦艦2012】 2月11日、12日:新宿歌舞伎町風林会館ニュージャパン(http://unicorp.jp/newcatherine/) 12:00/13:00 1日\3800 通し6800円+1drink 公式ウェブサイト:http://minnanosenkan.com/ 1日目:buffalo daughter / MO'SOME TONEBENDER / uhnellys / シグナレス / LOOLOWNINGEN & THE FAR EAST IDIOTS / テクマ! / 奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 / Z / 壊れかけのテープレコーダーズ / the chef cooks me BAND / ヒカシュー / 東京カランコロン 2日目:ZAZEN BOYS / GELLERS / アナログフィッシュ / NETWORKS / おとぎ話 / Ropes / ヤーチャイカ / TACOBONDS / Myth Folklore / ロレッタセコハン / ズボンズ / 八十八ヶ所巡礼 なんというか、ラインナップを見ているだけで楽しい。場所も素敵。単純に面子が豪華だからというだけでなく、本当にイベントとして楽しそうな匂いがプンプンしている。チケット残り僅かだそうですよ! 【踊りエクボ、笑いジワ】 2月27日:吉祥寺MANDA-LA2(http://www.mandala.gr.jp/man2.html) 18:30/19:30 ¥2000+1drink アギー(男装の麗人ダンサー) / チャタ(ロッキンパフォーマー) / CAMEW (トライバルフュージョンダンサーfromSarashukra ) / 中ムラサトコ(vo.pf) / ガアヤと第三新東京都立音楽隊(アニソン生演奏&ダンス) / タカダアキコ(ダンサー) / ヨロ昆撫(ガレージカラオケ) まず面子が濃い。音楽というよりはパフォーマンス、というか舞台を観る感覚に近いライブになるだろう。正直この面子で2000円は安い。行くべき。 ついでに私情絡みで1本。 【GOLD EXPERIENCE Vol.2】 2月26日:代々木Zher the ZOO(http://www.ukproject.com/zherthezoo/) 18:00/18:30 \2300/\2500+1drink オリンポス16闘神 / トランヂスター / イギリス人 / ▲s / ulma sound junction 出演者の名前がなかなかインパクトあるっしょ?俺もまさかオリンポス16闘神を呼べる日が来るとは思わなかった。わくわくする。 |
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年を越してしまった。もう2012年だ。平成24年だ。消費税増税だ?
それはどうなるのかわからないけど、1月は気合いを入れてるイベントが2本決まっている。これが盛り上がらなかったら伸び放題の髪を切って、むしろ刈り上げて坊主にしてやろうくらいの気持ちでいる。 そのうち1本について、公私混同になり過ぎない程度に趣旨説明をさせていただこうかなと。 イベントタイトルには、ジョジョの奇妙な冒険からの借用?とも勘繰れる名前を付けているが、もちろんジョジョからの借用、ではない。 昨年、数は多くないけれどもそれなりの数のイベントを打ってきて、毎回反省があって色々考えた。そして「人は何を求めてライブに行くのか?」ということを考えた。 単純に楽しいから、好きな人に会いに行く感覚、友達付き合いの延長線上、これから世の中に出て行きそうな未知の存在と出会えることへの期待・・・などなど、理由は人それぞれにあるだろうが、それらをひっくるめて出した結論が『体験』という一語。 CDが売れないと言われるようになって久しい。でもそれはCDじゃなくても音楽をユーザーに届けるツールが普及したからだと思うし、逆に言えばユーザーはCDというソフトにお金をかけなくても音楽を楽しめるようになったということだ。 詰まるところビジネスモデルが変わってきているというのが事の本質であって、音楽の魅力が落ちているとか(その面も無きにしも非ずとは思うが)、ユーザーの意識の低下だとかいうことではないのだと思う。 ではユーザーがお金を払うだけの価値を見出せるのはどこか?何か?という話になった時、真っ先に思い浮かぶのがライブだ。その場その時の体験というものは所持もコピーも出来ない。だからこそお金を払う価値がある。 (CDとライブにおけるアーティスト収益に関しては、はぐレ企画のサイトにアップしているインタビューを参照していただけるとわかりやすいかと) もっと言うと、CD(配信含む)が売れない以上、魅力のあるライブが出来ないミュージシャンはますます食いっぱぐれて行くということになる。 とはいえ、全てのミュージシャンがライブ活動をしているわけでも出来るわけでもないし、この理屈が全てではないのだけれども、そこはまた別の機会に語りたい。 と、ここまで来てやっと本題に戻るのだけれども、今回のタイトルはお客さんに価値のある体験を届けることをテーマに命名したわけだ。生で観て良かったと思えるライブ、逢えて良かったと思えるバンドマン、そこを基準に出演者を厳選したつもり。 普段チケット2000円くらいのイベントに出てるバンドが多いので、2500円というチケット代は高く感じるかもしれないけど、それだけの価値が見出せると思うし、そう思ってもらえなければ企画の負け。もっと言いたいこともあるけど、そこは敢えて自粛。 あ、でも今回の出演者は1月はこの1本だけしかライブが決まってないか、決まってても地方でしかやらないところが多いので、好きな人たちは絶対見逃さない方がいいよ。これはホント。 新年1発目の、今月この時にしか味わえない体験を是非、ですよ。 Zher the ZOOのスケジュールを見てピンと来た方は是非遊びに来てくださいな。 |
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過去2回、ライブハウスの抱えている問題について書いてきたが、今回は今後のライブハウスはどういう道を取るべきかを考えて行きたいと思う。
まず結論から述べてしまうと、個人的にはこれまで取ってきたシステムを大幅に変更、破壊して一般客を増やしていく方向と、これまで以上にセクト化していく方向しかないのではないかと考えている。 まず前者についてだが、具体的な例を挙げて考えてみようと思う。 個人的にいつも動向が気になっている四谷OUTBREAKが、先月から入場無料ライブを始めた。小さなバースペースでのライブならば入場無料で投げ銭制を取っているイベントもそれなりにあるが、キャパ200人のハコでフリーイベントをやるとなると、その日の必要経費を賄うだけでもなかなか大変だ。かなりの大冒険であるのは間違いないが、このイベントをやることで、毎回来る人が決まってしまっているライブハウスの客層をもっと拡げていこうというOUTBREAKの意気込みが見えてくる。 実際どこの馬の骨とも知れないバンドを観るために1500円~2000円ほどのチケットを買う気になれない、という意見は昔っからあるし、そこに相応の価値を見出してもらえないのはハコと出演者の双方に努力が足りないと言われても仕方のない部分だ。 「だったらタダでいいから、とにかく1度来てみてくれよ!」というイベントを打って、そこからリピーターを増やして行こうという戦略は、確かに1つのやり方としてありだろう。 これは赤字を出すリスクは当然背負わなくてはいけないが、やはり無料ということで人を集めやすいというメリットがある。そこからリピーターを獲得できるかはまた別の努力が必要だが、その点においてもOUTBREAKは色々と工夫しているようだ。 椅子を出し、フードも出し、再入場もOKとなっている。ライブハウス初心者にもかなり優しい感じだ。 恐らくほとんどのライブハウスにおいて、月のうちの何本かは赤字の日があることを考えれば、そういう日を始めから店のアピールのために使ってしまう方が、同じ赤字であっても後々に繋がってくる部分に差が出てくることは十分に考えられる。 当事者たちの意識がどうであれ、これまで「閉じた場所」だったライブハウスをもっとオープンにしていって一般顧客を増やしていく方法、これが道の1つだろう。 そしてもう1つはよりセクト化していく、つまりさらに閉じた方向へ進む道だ。 そもそも統計的に考えて、音楽を自宅やiPodなどで楽しむ人と、実際にライブ会場に足を運んで生で楽しむ人の比率は、圧倒的に前者が多いことはわかりきっていることであり(もちろんその理由にチケット値段の問題も含まれていると思われるが)、むやみに客の絶対数を増やすことを考えるよりも、最大公約数の動員できっちり利益を得られるようなシステムを考えていく方がリアリティがあるのは確かだ。 その為には少々値が張るかわりに、それ相応の充実した体験を提供していく必要がある。演者には当然高いクオリティが要求されるし、店には見栄え、サービス、飲食物の味などを厳しく吟味する義務が生じる。 考えてみれば当たり前のことなのだが、この業界は少々変わっていて、良い演者が出さえすれば、汚くて店員の態度が悪い店にもお客さんがやってきたりするのである。それなればこそ、明らかに他所よりも店のレベルが高いというライブハウスがあれば、そこは他と差別化を図れるはずだと思うのだが。 例えば大物歌手のディナーショーなどを見てみるとどうだろう。豪勢なホテルで手の込んだ料理と酒を味わいながら歌やトークを楽しむという内容で(きっとお土産なんかもあるのだろう)、3万円から4万円がザラの料金設定が普通にまかり通っている。 当然それだけの料金を払って足を運ぶ余裕のある層を相手取っての商売だからこそ成立しているわけだが、逆に言えば相応のサービスが保証されているのなら高い金を払ってもいいという客層は絶対にいるのである。 ライブハウスのレベルでチケットが3万も4万もするイベントを組むのは無謀だが、普段はチケット2000円前後のイベントに出ている演者を呼んで、2500円~3000円のイベントを組むことは出来るし、やり方次第でちゃんと動員も出来るはずである。 ・・・とまぁ、ここまでの話を要約すると、ライブハウスが今後目指していくべきはディスカウントストアなのか、高級店なのかということだ。(ただしここで主な対象としているのはキャパ200~300くらいの規模で、現状あまり上手く行ってないという店の話なので、必ずしも全部の店が変わるべきとは思っていない) どちらの道を取るべきかは、立地、内装、設備などの点にかなり左右されるので一概には言えないが、恐らく大多数のライブハウスはディスカウントストアを目指していくしかないと思っている。だがそうなると現状では顧客の数が圧倒的に足りないし、ライブハウスが本気でその方向を目指して変わって行ったとしても、劇的に客足が伸びるとは考えにくい。結局ある程度の淘汰は避けられないというのが個人的な予想。 ただし前回の記事でも書いたが、この業界は必ずしも理によって動いている人ばかりで成り立っているわけではないので、むしろそうでない人が多いので、意外とみんなしぶとく生き延びていく可能性も十分に考えられるが・・・ それはさておき、自分自身の職場に関して言うと、今後は高級店を目指したいという意識がある。もちろん若い人たちにも継続的に出演して欲しいし、若いお客さんにも来て欲しいのだけど、やり方は変えて行くべき時期に来ていると感じる。 それに若いお客さん=金を持っていないという考えも間違いで、それは昨今の大型フェスの盛り上がりを見れば一目瞭然だ。「この日は絶対外せない」というイベントがあれば、何を置いても駆けつけるというバイタリティのある連中はそれなりにいるのだ。コミケだってそうじゃないか。 そういう年1回規模で何万円も使わせるようなイベントではなくとも、もう少し小規模で質の高いイベントを質の高いサービスと共にコンスタントに提供できるようにしたい。 質の高いサービスを提供するという点においてはまだまだ課題は山積みだが、自分がお客さんだったらという意識を常に持って励む所存。 頑張るのです。 |
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前回からだいぶ間が空いてしまったが、ライブハウス事情についてのお話をば。
この前触れたのは主にライブハウスの数が多すぎるという点について。ミュージシャンの数、そしてお客さんの数に対するライブハウスの数が多すぎるが故に、儲からない、面白くない、という状況に陥っているのである。 というのが前回の話。 今回は最近ツイッター上で再度火のついた「チケットノルマ」についての話でもしてみようかと思う。 時にライブハウス最大の悪業として非難の的になるチケットノルマだが、そもそも何故出演者が集客ノルマを課せられるという制度が生まれ、それが定着していったのだろうか? 古い記事だが、フリーペーパー『音楽主義』の8号に載せられた平野悠氏(LOFT PROJECT代表)へのインタビューを抜粋してみよう。 ―現在(このインタビュー記事が掲載されたのは2007年)ライブハウス文化は隆盛と言われてますが、場所を提供してお金を得ている単に"貸し小屋"になってるんじゃないかという見方もありますね。 上記の言をかいつまんで言うとこういう事だろう。 まだ無名で売れてなかった時代から世話を焼いていたミュージシャンが、売れるとライブハウスには出なくなる。つまり客を呼べないミュージシャンしかライブハウスに出てくれないので、ライブハウスは全く儲からない。だからチケットノルマをかけるようになった。 これがライブハウス側の言い分ということになる。 そしてこの理屈の中に、そのままライブハウスが持つ致命的な欠点が隠されている。 詰まるところライブハウスは儲けを出さなくてはやっていけない、ということだ。商売である以上当然のことなのだが、ライブハウスの人間とて霞を食って生きていけるわけではない。 「我々は文化を発信するのが仕事なのだから儲けなど二の次で構わない」というスタンスでやっている人間も少なからず存在するが、人件費や機材維持費などが賄えるだけの最低限の儲けはどうしても必要になってくる。 食っていくためには仕事をしなくてはならないし、仕事をした人間に給料を払うためには売り上げがなくてはいけない。 この点と合わせて、前回触れたライブハウスが増えすぎたという問題を照らし合わせると、現在多くのライブハウスが陥っている負のスパイラルが明確になってくる。 ライブハウスが増えたことにより、客を呼べる=儲けの出せるミュージシャンとライブハウスの比率が崩れてしまった。だがライブハウスは儲けが出ようが出まいが、営業しないことには仕事にならないのでとにかく営業する。結果的に質の低い興行が増える。お客さんが減る。 これが今のライブハウス業界の現状だ。 こういった状況で潰れていく場所も当然あるが、それでも多くのライブハウスがギリギリのラインで持ち堪えられているのは間違いなくチケットノルマ制のおかげだと思うし、それを「悪」とする意見に100%説得力のあるの反論は出来ない。 実際ライブハウスで働いている人間でも、積極的にノルマをかけるべきという人より、そうせざるを得ないからノルマをかけているという考え方の人の方が多い気がする。(これは私が自分で見てきた人、話をしてきた人を元に判断しているので、全体像としては確信はないが) 逆にミュージシャンの側からすると、どんなメリットがあってライブハウスという場所を利用して表現活動を行っているのだろうか。少なくともノルマを払ってライブをするという事を受け容れて活動しているミュージシャンがそれなりにいなくては、もうとっくにライブハウスの数は減少傾向にあるはずである。 ということは、ノルマを払ってもライブハウスに出演する価値がある、少なくともそう考えている人が多少なりともいるということだ。 ざっと考えられる点としては ・大音量が出せる ・機材が揃っている ・スタッフが揃っている ・対バンで面白いミュージシャンと出会えることがある ・所謂業界人ににライブを観てもらえる可能性がある などといったところだろうか。 1番大きな点はやはり音量だろう。特にロックバンドなどは大音量が出せなくては面白くないし、大音量を出しても大丈夫な環境というのは探してもなかなかない。昔と違って公共の場でロックのライブなどは、ほとんど不可能な状況になってきている。 きちんとしたステージの上で、大きな音を出して演奏するのが気持ち良いからという理由だけでライブハウスに出演しているバンドマンも中にはいるようだ。つまりそういう出演者にとってノルマとはホールレンタル料であって、はじめから集客のリスクを負うという感覚ではないのだろう。 機材が揃っているという点も大きい。マイクや楽器くらいは自前の物を持てても、アンプやドラムセットといった大物は所有するのが大変だし、持っていてもライブの度にそれをどこかへ運び出すというのは結構な大仕事だ。始めから機材が揃っている場所でライブが出来るというのは、労力の面でかなりプラスなのは確かだろう。 スタッフが揃っていることの重要性は音楽性やライブの規模により変化するだろう。確かに専門の音響、照明オペレーターがいるに越したことはないが、例えばアンプラグドライブにおいてのPAの必要性はさほど高くない。 むしろその相手がどんな人間かという部分が重要な点だろう。 例えばキャパシティ、機材、ノルマ、家からの距離などが全く同じライブハウスが2件あったとしたら、選ぶ条件はスタッフの能力、人柄が決め手となる。 逆に言えば「あそこのハコは音は悪いけど〇〇さんがいるから出る」という場合もあるし、そのような例はむしろ少なくないようだ。 対バンでの出会いに期待する面については、大きく意見が別れるかもしれない。対バンのライブは全く観ないし、打ち上げにも参加しないというミュージシャンも増えている。 一方でミュージシャンには不器用な人間が多いのも事実で、元々友達もあまりいない。だから歌を唄うようになった。そうしてライブハウスに出演している内に友達が増えた。でもプライベートでは相変わらず友達が出来なくていつも浮いている。ライブをしている時が1番楽しい。というタイプの人間はいつの時代もいるようだ。 業界人云々については正直わからない。可能性として挙げてみたが、そこにメリットを見い出しているミュージシャンがどれくらいいるものか・・・ と、ここまでライブハウスとミュージシャンそれぞれの視点に立ったつもりで書いてきたが、ここで1つ興味深い記事を紹介したい。 バンドマンが変わればライブハウス業界が変わる この記事は非常に合理的な視点に基づいて書かれているので一読の価値はある。もし全てのミュージシャンがここで言われているように意識改革したら、確実にこの業界は変わるだろう。 だが先に書いたように、この世界には不器用な人間が多いのも事実。むしろ非合理が大好きな人間が多いと言った方が正しいかもしれない。それはミュージシャンに限らず、ライブハウスの人間もそうだ。「面白そうだから」という理由で赤字覚悟の企画があちこちで立てられている。そういう世界なのだ。 きっと現在のライブハウスの存在意義とは音楽文化を発信することではなく、非合理的にしか生きられない人間の受け皿としての部分が大きいのではないだろうか。 そういうことを言うと反感を買うかもしれないが、自分自身を振り返ってみてそういう部分が無いとは言い切れないのも事実なのだ。 音楽ビジネス自体が大きな地盤沈下を起こしている昨今、ライブハウスもその影響を避けることはままならないが、ある特定の人々のための「居場所」という存在意義があるのなら、ライブハウスは今後もなくなることは決してないだろうと思う。 なんだかチケットノルマの話から脱線してしまったが、要するにこの問題を理屈で解決するのは不可能なのだ。私もここで何らかの解決策を出せるとは思っていない。 ただライブハウスの人間として一言言わせてもらうなら、ノルマにしろギャラにしろ、どうにかしようと思えばどうにでもなるものなのである。 あとは自分で考えよう。 |




